すべての人が対等だと心から思ったら
親の価値観を子に押し付ける、という関係性がある。
(あるところにはあり、ないところにはない。)
子供には、この地球で命を守るためのルールを教える必要はあると思う。
それが先に生まれてきたものの勤め。
だけど子供が、重力だとか時間だとか、あらかた地球の法則に慣れてきて、
致命的な危険を回避できるようになったら、もう何も教えなくていいんじゃないか?
最近はさまざまな形の「差別」に対する違和感が多くの人の中で高まっている。
すべての人が対等だと心から思ったら、親子関係も対等なのではないだろうか?
これまで、年長者の方が経済的に豊かで、生きていく知識も豊富だった。
けれど時代は変わり、そうとも限らなくなっている。
そうした時に、親が子供に言うことを聞かせる、ということにどれだけ意味があるのか?
物理的に出来ないこと、経済的に出来ないこと、をフォローしつつも、心の中は対等。
それが「すべての人が対等」だということなんじゃないだろうか。