らんこっこ音楽堂♪

ヴォイストレーニングとカウンセリング

立ち位置を時代に合わせて変化させる

前回のブログで、ちょうど親子ほどの年齢差がある、ある店のマダムと私の考えがすれ違った話を書きました。

 

runcocco.hatenablog.com

 

世の中にはさまざまなギャップがあって、その中では世代間ギャップ、ジェネレーションギャップはわかりやすい部類ではないかと思います。


少し前にあった「ポテサラ論争」は、小さい子供を連れた若い母親が、スーパーでポテトサラダを買おうとしたら、高齢男性が「ポテトサラダくらい作ったらどうだ」と言った、というものでした。この件に関して、様々な意見が飛び交っていました。

 

先日、少し電車に乗って、初めていく地域の小さな神社に寄りました。境内をお掃除しておられる男性がいたので挨拶すると、神社の歴史などを話して下さったのですが、ふと私の足元を見て「そこは神様の通る道だからずっと立っていないで」と。

 

神社の参道は真ん中が神様の通る道、両脇が人の通る道、という話は知っていましたが、そもそもこの神社の参道の敷石は1枚で、人ひとりが通れる幅しかありません。ですから当然、その上を歩いてお参りし、その敷石の上に降りて来たところで声をかけられたのでそこに立っていたのです。更にその日は前日の雨で土はだいぶ湿っており、敷石の横をあるけば、そこが削れてしまいそうでした。

 

私が「そうなんですか?」と言うと、「いやいや、迷信だけどね」と笑いながら、今、言ったことを引っ込める。じゃあ、なんで言ったんですか?と、思いました。言いませんけど。

 

帰り道で夫が「伊勢神宮に行った時、真ん中は歩いちゃいけないんですか?って聞いたら、神様はそんなケチなことは言いません、って返事だったよ」と。私も、そのように書かれたものを読んだことがあります。神様はどうして欲しいのか?ほんとうのところは私にはわかりませんが、お掃除をしていた男性は何がしたかったのか?ということの方が疑問です。

 

神社の歴史に耳を傾けていた私に、急に思い出したように注意とも取れるようなことを言い出す。そして、すぐ引っ込める。もしかしたら、この神社の男性もポテサラ論争の男性も、高齢男性の多くが「年下の人には何かを教えてあげる」という方法でしか、コミュニケーションが取れないのではないか?と思いました。

 

思い返してみれば、私が子供だった頃は何か母親にお願いをする、例えば〇〇を買って欲しいとか、〇〇ちゃんちに泊まりにいきたいとか、そういう類のことを言うと「お父さんに聞いてみなさい」と返事が返ってきました。家の中のあらゆることは、父親の考えで決定されていましたし、子供が小さい間、母は専業主婦でしたので、社会、つまり会社に出ているのは父のみで(社会=会社というのは当時の価値観です。)母も私も社会のことは父から教えてもらうといった感じでしたから、父の口癖は「そんなの常識だろ」でした。

 

当時の男性にとっては、自分や自分を含む社会に出ている人の考えが世間の常識で、家にいる女子供はその常識を学ぶべきだから、自分が教えてやる、というのはごく普通のことだったかも知れませんし、実際、そのように社会は動いていたように思います。ですから、今、高齢になった男性たちは、過去にはそのような役割を求められ、それに応えてきたのだろうと思いますし、そこに存在価値を見出す人もおられるかとも思います。

 

時代が移り変わって、社会とは仕事をしている人だけのものではなくなり、様々な価値観を持つ人がそれらを自由に表現できるようになってきて、常識とは1つではなくなりました。時代が変われば、社会の中の自分の存在の意味や、与える影響なども変化していきます。わかりやすく言えば「立ち位置」になるでしょうか。

 

自分の「立ち位置」を今の時代に合わせて変化させていく工夫が必要だな、と感じる出来事でした。

 

 

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