塗り変えた蝋梅の思い出
まだ私が学生の頃、今の夫と新宿御苑をデートした時のことです。
入口からそう遠くないところに、まだ小さな蝋梅の株が花をつけていました。
その花の前で足を止めて一言、二言、言葉を交わしました。
お互いに、今、直面しているこの場面は何らかの分岐点だと感じつつも、
すれ違ったまま自分の気持ちを素直に表現することが出来ませんでした。
この時のことは以後、私たちの苦い思い出の場面として記憶されていました。
それから数十年の間に、冬になるとあちらこちらで出会う蝋梅に
心を揺り動かされつつ、少しずつその思い出の苦さが減っていくのを感じていました。
今のマンションに引っ越ししてから、近所に蝋梅があるのを見つけました。
最寄り駅にほど近い、小さなアパートを挟む形で東と西に1本ずつ。
毎年、季節になり花をつけると、その香りを楽しんでいました。
昨年のこと、いつものように駅からうちへ帰る途中、そのアパートに通りかかると、
大家さんと思しきおじさんが花をつけた蝋梅の枝を落としていました。
私はそれを横目に見ながらいったんは通り過ぎたのですが、思い直して道を戻り、
「あのー、その枝、捨てるならもらえませんか?」と声をかけました。
おじさんは「なんで?」と聞くので、「うちマンションで庭がないんですよ。いい香りだから飾りたいと思って」と答えると、おじさんは「いいよ」と言って、東側の蝋梅に移動します。東側の方が日当たりの関係か、いつも大きな花が咲くのです。
そして持っていた小さな鋏を大きな鋏に持ち替え、太い枝をいくつも切って、
「はい」と持たせてくれました。
私は家に帰ると、足湯バケツに水を張り、枝を入れました。
「蝋梅だね、どうしたの?」帰ってきた夫にその日の話をし、それから2週間ほど可憐な姿と香りを楽しみました。
その後、おじさんにお礼を言いたいな、と思いつつも、通りかかった時になかなかタイミング良く会えずにいました。
一年以上が経ち、今年の3月、何か甘いものが欲しくなり、駅前のコンビニで最中を買った時、ふと目について芋けんぴも買って、帰路につきました。
アパートに差し掛かるとおじさんが庭の手入れをしています。
「こんにちは、去年、蝋梅の枝をもらった者です。」
「ああ、今年は来なかったね。たくさん持ってった男の人がいたんだよ。」
「ここ通りかかった時におじさんに会えるかなと思ったけど、会えなかった。」
「ほら、あの階段のところから入って来て。」
アパートの端に大家さんの家の入口があるようです。
私はたまたま買っていた芋けんぴをおじさんに渡し、改めてお礼を言うと、
「来年また、来たらいいよ」とうれしそうに。
来年、蝋梅が咲いたらまた、大家さんの家を訪ねて行こうと思います。
私と夫にとって、大きく蝋梅の思い出を塗り変えた一件でした。
※この話は音声でも話しています。