ソロは誰が歌うのか?
「どうしてEさんがソロなんですか?」
面と向かって言わなくても、合唱団ではこういう気持ちを抱いている人は少なからずいるのかも知れない。
曲の中で何小節か一人で歌うソロパートを決めた時の話だ。
「Eさんは練習だってお休みばかりなのに、先生は努力を認めてくれない!」
Eさんは不規則なお仕事のため、週に一度の練習も休んだり遅刻したりが多い。
そのEさんより、毎回ちゃんと練習にも出ていて、自主練習もしているのに、Eさんより上手に歌えない。
それなら、なおのことソロには選ばれないのは、Eさんが元々うまいだけ。
わかりやすい話ではないだろうか?
私はこの件で二つの疑問を感じた。
一つは、団のあり方は団員みんなで決めればいいのでは?ということ。
私の方針はこうだ。
合唱団というのは合唱をするための集まりであって、学校ではない。
だから、「一番、努力した人にソロを歌ってもらいましょう」とか、考えたこともないし、言ったこともない。
それより何より、聴いている人に、そういうことは関係ない。
けれども、もし、「発表の場で一年に一度は全員が必ずソロを歌えるようにしたいです。」
と、団員みんなが思っていて、そう決めたのなら、それで、私は構わない。
合唱団はたくさんあるし、それぞれの個性や技術、考えを生かして活動すればいいからだ。
二つめの疑問は
この申し立てをしてきた、Fさん。
この方は今まで「努力すれば認めてもらえる」環境に身を置いていた、
もしくは「努力すれば認めてもらえる」と、信じて努力してきたのだろう、と想像した。
4歳で幼稚園に入り、22歳で大学を卒業するとして、18年間、先生と名のつく人に評価される。
その後、会社に就職すれば上司がいる。
先生や上司の評価が学校生活の質や将来、さらには給料に影響する、と信じていたら、やはり努力はするだろう。
しかし「努力」そのものを評価しない場に所属したら、今回のように認められない不満を感じることになる。
Fさんは、今まで「努力」が評価の対象でない場にいたことがないのだろうか?というのが二つ目の疑問だ。
この出来事はもう、15年ほど昔のことだ。
その頃の私は、Fさんに対して、「努力」が評価の対象じゃないところにいると気づいて、何が評価されているのか見極めた方が良いのでは…と思っていた。
しかし、時代は変わった。時代の風に吹かれている私も変わった。
今なら、「自分なりの価値観を持っていればいいや」という答えを見いだすのだ。